X線分析の進歩, 30, 111-121 (1999)
カルコパイライト型CuInS2薄膜表面のX線光電子分光と第一原理計算
福ア浩一,古曵重美,山本哲也*,渡辺隆行*,吉川英樹**,福島整**,小島勇夫***
九州工業大学工学部物質工学科,北九州市戸畑区仙水町1-1
* 旭化成工業株式会社富士研究所,静岡県富士市鮫島2-1
** 科学技術庁無機材質研究所,茨城県つくば市並木1-1
*** 通商産業省工業技術院物質工学工業技術研究所,茨城県つくば市東1-1
X-ray photoelectron spectroscopy and ab-initio electronic band structure calculation
of chalcopyrite structure CuInS2 thin film surfaces
Kouichi FUKUZAKI, Shigemi KOHIKI, Tetsuya YAMAMOTO,* Takayuki WATANABE,*
Hideki YOSHIKAWA,** Sei FUKUSHIMA,** and Isao KOJIMA***
Department of Materials Science, Kyusyu Institute of Technology, Tobata, Kita-kyusyu 804-8550,
Japan
* Asahi Chemical Industry Co., Ltd., Fuji, Shizuoka 416-8501, Japan
** National Institute for Research in Inorganic Materials, Tsukuba, Ibaraki 305-0044, Japan
*** National Institute of Materials and Chemical Research, Tsukuba, Ibaraki 305-8565, Japan
我々は、先ずカルコパイライト型結晶構造を有するCuInS2薄膜表面のX線光電子分光を行い、以下の1)〜3)を明らかにし、続いて第一原理バンド計算を行い、4)と5)を明らかにした。その結果、Cu欠損CuInS2:Na表面では新物質相(Cu,Na)InS2が形成されることを見い出した。
1)p-CuInS2([Cu]/[In]>1)の内殻電子及び価電子帯のスペクトルは、そのCu欠損量の変化に拘わらず変化しない、2)内殻電子及び価電子帯のスペクトルはCuInS2のCu欠損量に依らず、Naドーピングにより0.5eV低束縛エネルギー側へシフトする、3)Naドーピングによる価電子帯3.5〜
7.5eV付近のスペクトル強度増加はCu欠損量の増大に対応する、4)Na Cu−S結合の形成により、価電子帯で最大の状態密度を有するCu 3d - S 3p軌道の1〜5eV高エネルギー側で状態密度が増大する、5)Na Cu−S結合の形成はマーデリングエネルギーを減少させ、Na Cu近傍に在るSの3p軌道エネルギーを低下させる。
X-ray photoelectron spectroscopy of chalcopyrite structure CuInS2 thin films with Cu deficiency revealed the followings: 1) both the core-level and valence band spectra are invariant with the Cu deficiency, 2) Na doping to Cu poor CuInS2 shift the core-level and valence band spectra by - 0.5 eV independent of the Cu deficiency, 3) though, the Na doping enhances the spectral intensity at 3.5
〜 7.5 eV in the valence band depending on the Cu deficiency. From ab-initio electronic band structure calculation we found that a formation of Na Cu-S bonding decreases the Madelung energy and results in a shift of S 3p levels to lower energy regions in the vicinity of the Na atoms, and strong interactions between S p and Na p and s states locate at - 3.1 and at - 5.0 to - 5.3 eV, respectively. We have clarified that (Cu,Na)InS2 phase is formed by Na doping to the p-type CuInS2.
[キーワード] (Cu,Na)InS2, p-CuInS2, Naドーピング, カルコパイライト, X線光電子分光法, 第一原理バンド計算
[Keywords]
(Cu,Na)InS2, p-CuInS2, Na doping, chalcopyrite, x-ray photoelectron spectroscopy, ab-initio ban calculation
1.はじめに
高効率太陽エネルギー変換材料としてCuInSe2やCuInS2を代表とするカルコパイライト型化合物半導体が盛んに研究されている。これはその大きな光吸収係数のため薄膜化に有利な材料であると期待されてのことである。これまでは高品質薄膜作製が比較的容易なCuInSe2について活発な研究がなされてきたが、そのバンドギャップ(Eg)は約1.1eVであり太陽光スペクトルとの整合性が良いとは言えず、そのエネルギー変換効率の向上は限界に達しつつある。そこで、同じく高い光吸収係数を示すカルコパイライト構造を持ち、さらにそのEgが約1.5eVであり太陽光スペクトルとの整合性が良いCuInS2への転換が進行しつつある。
最近、CuInS2にNaドーピングを施す事によりn-CdS/p-CuInS2太陽電池セルのエネルギ−変換効率が大幅に増大すると報告され大きな関心を集めている1)。また、CuInSe2でも同様にNaドーピング効果が報告されており2,3)、カルコパイライト型化合物半導体のNaドーピング効果の解明が喫緊の課題となっている。
太陽電池セルはn-CdS/p-CuInS2またはp-CuInSe2の構造で形成される。CuInS2や CuInSe2の
p型化はカルコパイライト型構造を保持できる範囲内でCu欠損を導入することにより達成される。当然の事ながら、このp型層とn型層との界面の電子構造が太陽電池セルの特性を左右する。p-CuInS2表面へのNaドーピング効果の解明は科学的に興味深く、また工業的に極めて重要である。
今回、NaドーピングによるCu欠損p-CuInS2の電子状態の変化をX線光電子分光法と第一原理バンド計算を用いて解析した。ドープされたNaはp-CuInS2のCu空孔を埋め、(Cu,Na)InS2を形成する。これによりp-CuInS2結晶表面の安定化とn型化(つまり、p型性の減少)が実現することになる。
2. CuInS2薄膜のX線光電子分光
2.1 試料調製と測定条件
ソーダガラス基板上に下部電極として多結晶Mo膜を作成した。その上にCu-In-S前駆体膜をH2Sを活性ガスとして用い、反応性スパッタリング法により堆積させた。その後、H2Sガス中で550℃、2hの熱処理を行うことによりCuInS2層を形成した。X線回折法を用い結晶構造を確認した。原子吸光法により組成を測定した。各試料の[Cu]/[In]値をTable 1に示す。今回用いた何れのCu欠損p-CuInS2試料でもX線回折法によりカルコパイライト型結晶構造の単相が確認されている。
前述の熱処理工程を経ることにより、Naがソーダガラス基板より多結晶Mo膜を通ってCu欠損
p-CuInS2層表面へ拡散する。 Fig.1にオージェ電子分光法によるデプスプロファイルを示した。
p-CuInS2層表面ではNaのピーク強度は有意であるが、或る程度以上膜の内部に入るとその強度はバックグラウンドと見分けがつかなくなり、有意ではなくなる。このCuInS2層表面へ拡散したNaは塩酸を用いて除去できる。 Fig.2に示した走査型電子顕微鏡像より解るように、エッチング処理前後で膜を構成している粒子の径に変化が認められない。 以上より、ソーダガラス基板より拡散したNaは
p-CuInS2表面に取り込まれていることが判る。
光電子分光の励起源には単色化Al Kα線を用い、半球型電子分光器により電子のエネルギースペクトルを得た。分光器の到達真空度は6×10-11 Torr以上、パスエネルギーは50 eV、分析面積はおよそ100μmφである。Au 4f7/2電子の束縛エネエルギーを83.79 eVとして分光器を較正した。チャージングはC 1s電子の束縛エネルギーを285.0 eVとして補正した。測定は室温で行った。この測定における統計誤差は、±0.15 eVであった。
2.2 内殻スペクトル
各試料のエッチング前後(即ち、表面Naの有無)のCu 2p, In 4d, S 2p内殻スペクトルをそれぞれFig.3, Fig.4, Fig.5に示した。表面Naが存在しない試料では、[Cu]/[In]値の違いに拘わらずスペクトルに変化が認められなかった。Fig.3はCu d9電子配置の欠如を示しており、p-CuInS2のCuはd10電子配置をとり、その酸化数は+1として良いことが判る。[Cu]/[In]値の違いに拘わらずCu 2p電子の束縛エネルギ−に変化が認められないのは既にカルコパイライト型CuInSe2で報告した通りである4-6)。これに対し、表面Naが存在する試料(Table 1の a〜c)のCu 2p, In 4d, S 2p電子束縛エネルギ−は何れも −0.5 eVのシフトを示した。
元来Na拡散の無い[Cu]/[In]=1.0の試料では、各内殻電子スペクトルがエッチングによるNa除去後の試料のそれと一致している。また、化学シフトが認められた試料でもスペクトルの半値幅や形状に変化が認められなかったことより、p-CuInS2のCu空孔(VCu)を表面へ拡散したNaが埋めて、(Cu, Na)InS2と表す新しい化学状態が形成されたと考えられる。この考えが正しければ、p-CuInS2のバンド構造中で、VCuを置換したNaが新しくNa s,p - S p結合を形成することになり、実験的には価電子帯スペクトルにおいてNa s,p - S p結合の状態密度に対応するスペクトル強度の増大が観測される筈である。
2.3 価電子帯スペクトル
各試料のエッチング前後の価電子帯スペクトルをFig.6に示した。Naを除去した試料では、[Cu]/[In]値の違いに拘わらずスペクトルに変化が認められなかった。元来Na拡散の無い[Cu]/[In]=1.0試料の価電子帯スペクトルは、エッチングによるNa除去後の試料のそれと一致している。これに対し、表面にNaが存在する試料では、内殻電子スペクトルと同様に、何れも −0.5 eVのシフトが観測され、p-CuInS2の[Cu]/[In]値の減少、即ちCu欠損量の増大に伴う3.5〜7.5eV付近のスペクトル強度の増大が認められた。
Fig.7に示すように、CuInS2の価電子帯スペクトル中で大きな構造を形成しているCu d10非結合性軌道のピーク位置を揃える事により、各試料のエッチング前後での価電子帯スペクトルの変化を抽出できる。Na量の増大に伴い、Cu d10ピークより約1〜5 eV高束縛エネルギ−側でスペクトル強度の増大が看られた。Na1+のイオン半径(1.14Å)は、Cu1+の共有結合半径(1.17Å)とほぼ等しく、Cu空孔位置でのNa取り込みが生じても構造的な不利は生じない。Naの電気陰性度(0.9)はCuのそれ
(1.9)より小さく、p-CuInS2のVCuを置換したNaがNa s,p - S p結合を形成すると、バンド構造中でCu d 非合軌道よりエネルギー的に深い位置に状態密度の増大に伴う電子スペクトル強度の増加が観察されることになる。上記の観測結果はこの予想と一致しており、p-CuInS2において、表面へ拡散したNaがそのCu空孔を埋め、Na s,p - S p結合を形成すること、即ちNa取り込みにより表面新物質相(Cu, Na)InS2が形成される事がX線光電子分光法により明らかとなった。
3.バンド計算
3.1 計算方法
我々は局所密度近似下での密度汎関数法7-9)に基づき、補強された球面波法10)による第1原理バンド計算法を行った。価電子として、 Cu では 3d, 4s, 4p を、In では 5s, 5pを、 Sでは 3s, 3p を、Naでは3s, 3pを、それぞれ用いた。k点の数は14とした。計算モデルはスーパーセル法に基づいた基本格子を用い、その格子内の原子数は128個(Cu, In が各16個、S が32個)、仮想原子数は64個である。p-CuInS2:VCuは16個の Cu サイトの内、1つを空孔で、そして CuInS2:NaCu では16個の Cu サイトの内、1つを Na で置換した。不純物である Na により生じる格子歪みの影響は全エネルギーに対し200〜300 meVの変化を与えると見積もられるが、ここではその影響を無視した。 CuInS2 では Cu 3d - S 3p 反結合状態が価電子帯最上部に位置する11-13)。反結合状態により形成される伝導帯と上記の価電子帯により禁制帯が形成される結果、遷移金属不純物を除けば、一般に不純物の電子状態は大きく非局在化し、格子歪みへの影響は小さくなる14)。原子球近似での各原子半径は、Sは 2.83 a.u.、Cuは2.47 a.u.、 Inは1.91 a.u.、そしてNaは1.91 a.u.である。(1a.u.=0.529Å)
3.2 計算結果
化学量論比組成CuInS2の電子状態密度をFig.8(a)に、Cu空孔をNaで置換したCuInS2:NaCuの全状態密度とSとNaの各サイトに分解した部分状態密度をFig.8(b),(c),(d)にそれぞれ示す。(エネルギーはフェルミレベル基準)Fig.8(a)中に示したA,B,C,DはそれぞれCu 3dの寄与が大きなCu 3d - S 3p反結合性軌道、Cu 3d 非結合性軌道、S 3pの寄与が大きなCu 3d - S 3p結合性軌道、In 5s - S 3p結合軌道である。[Fig.8(a)ではS 3s状態を省いた] これに対し、Cu空孔をNaで置換したCuInS2:NaCuでは、Fig.8(b)に看られる如く領域C中の−3.1 eV にNa p - S pの強い相互作用が、またFig.8(c),(d)に看られる如くNa s - S pのそれが−5.0 eVから−5.3eVに、それぞれ認められた。これはFig.7のCu 3d10非結合性軌道より高エネルギー側1eVから5eVにおける電子スペクトル強度の増大と良く一致している。
また、CuInS2:NaCuにおけるマーデリングエネルギーは、CuInS2:VCuのそれに比べ12.89 eV減少し、CuInS2のそれに比べても7.07 eV減少した。これはNa 3s, 3p軌道からS 3p軌道へ電荷移動が生じたためであり、この結果S 3pの軌道エネルギーは低エネルギ−側へシフトした。これによりCuInS2:VCuに比べてCuInS2:NaCuの方がイオン電荷分布がより安定化することになる。以上、実験から提案した新物質相(Cu,Na)InS2が安定に存在しうることを第一原理計算から明らかにした。
4.おわりに
カルコパイライト型結晶構造を有するp-CuInS2薄膜において、ソーダガラス基板から拡散したNaが薄膜表面で新物質相(Cu,Na)InS2を形成する事を、X線光電子分光法と第一原理計算を用いて明らかにした。
実験では、p-CuInS2のCu空孔をNaで置換すると、内殻電子スペクトルの半値幅と形状は変化せず、ピーク位置のみが−0.5 eVシフトする事や、価電子帯スペクトルにおいては、Cu d10状態から高束縛エネルギー側約1〜5eVにおいてNa s,p - S p結合軌道形成によるスペクトル強度の増大が認められる事が分かった。バンド計算でも、実験と同様にNa s,p軌道とS p軌道との強い相互作用が認められ、S p軌道の低エネルギー側へのシフトが生じ、CuInS2:NaCuが安定化することが判った。以上より、
p-CuInS2表面において新物質相(Cu,Na)InS2が形成される事が明らかになった。
これはNaドーピングによるn-CdS/p-CuInS2太陽電池セルのエネルギ−変換効率向上の要因に繋がる。p-CuInS2のCu空孔を電気陰性度の小さなNaが置換することにより、CuInS2よりEgが大きい(Cu,Na)InS2が最も大きなEgのn-CdSと最も小さなEgのp-CuInS2の界面に位置する事になり、pn接合部のバンド不連続が減少して効率低下の要因である界面状態密度を減少させることになる。
1) T. Watanabe, H. Nakazawa, M. Matsui, H. Ohbu, and T. Nakada, Sol. Energy Mater. Sol. Cells
49, 357 (1997).
2) M. Bodegard, L. Stolt, and J. Hedstrom, Proceedings of the 12th European Photovoltaic Solar
Conference (Amsterdam,1994) 1743.
3) V. Probst, J. Rimmash, W. Riedl, W. Stetter, J. Holz, H. Harms, F. Karg,and H. W. Shock,
Proceedings of the 1st World Conference on Photovoltaic Energy Conversion (Hawaii, 1994)
144.
4) S. Kohiki, M.Nishitani, T.Negami, and T.Wada, Phys. Rev. B 45, 9163 (1992).
(1992).
6)
古曵重美,西谷幹彦,根上卓之,和田隆博,坂井全弘,合志陽一, X線分析の進歩24 , 145 (1993).7) W. Kohn and L. J. Sham: Phys. Rev. 140, A1133 (1965).
8) L.Hedin and B.I.Lundquist, J. Phys. C 4, 3107 (1971).
9) U. von Barth and L.Hedin, J. Phys. C 5, 1629 (1972).
10) A. R. Williams, J. Kuebler and C. D. Gelatt: Phys. Rev. B 19, 6094 (1979).
11) J. E. Jaffe, A. Zunger, Phys. Rev. B 29, 1882 (1984); ibid. 28, 5822 (1983).
12) T. Yamamoto and H. Katayama-Yoshida: Jpn. J. Appl. Phys. 34, L1584 (1995).
13) T. Yamamoto and H. Katayama-Yoshida: Solar Energy Materials and Solar Cells,
49, 391 (1997).
14) T. Yamamoto and H. Katayama-Yoshida: Inst. Phys. Conf. Ser. 152, 37 (1998).
Table 1
Electron binding energies of CuInS2:Na thin films
before and after the HCl etching (eV).
Sample a b c d
[Cu]
/[In] 1.0 0.91 0.81 0.73Before the etching
Cu 2p3/2
932.3 931.8 931.8 931.8In 4d
18.2 17.8 17.8 17.8S 2p
162.0 161.5 161.5 161.5After the etching
Cu 2p3/2
932.2 932.2 932.2 932.2In 4d 18.2 18.2 18.2 18.2
S 2p 161.9 161.9 161.9 161.9
The line width (FWHM) of the Cu 2p3/2, In 4d, and S 2p electrons of all the samples were 1.5, 1.9, and 2.2 eV, respectively.
Figure 1 Auger depth profiles of stoichiometric CuInS2 and p-CuInS2:Na.
Figure 2 Secondary electron micrographs of the p-CuInS2:Na thin films before (left) and
after (right) the etching.
Figure 3 Cu 2p electron spectra of the p-CuInS2:Na thin films before (solid line) and
after (dotted line) the etching.
Figure 4 In 4d electron spectra of the p-CuInS2:Na thin films before (solid line) and
after (dotted line) the etching .
Figure 5 S 2p electron spectra of the p-CuInS2:Na thin films before (solid line) and
after (dotted line) the etching .
Figure 6 Valence band spectra of the p-CuInS2:Na thin films before (solid line) and
after (dotted line) the etching .
Figure 7 Valence band spectra of the p-CuInS2:Na thin films aligned at the Cu d10 peak top.
The spectra before the etching (solid line) were shifted by 0.5 eV to align the peak tops
of those after the etching (dotted line).
Figure 8 Total density of states (DOS) of (a) stoichiometric CuInS2, and (b) total and (c), (d)
site-decomposed DOS of CuInS2:NaCu. The arrows in (b) indicates the bonding states
between Na s or p states and p states of S close to the Na atoms.