One must think with one's heart and feel with one's head.

 私の座右の銘は、ハンガリーで生まれ戦後アメリカを中心に活躍した名指揮者ジョージ・セル(George Szell, 1897-1970)の、この言葉である。音楽CDの解説の中に見つけた一文で、独語から翻訳したもの(そのせいか、英語に違和感がある気がする)。「考えるのはハートで、受け止めるのは頭で」とでも訳せばよいか。指揮者セルが音楽に携わる心構えを語った一言であるが、自然科学に携わる人間にも示唆の多い、自分への戒めにもなる言葉だと思う。
 自然科学に関わる者にとって、論理的に、深く考えるのは当たり前のことである。ところが、これがことのほか難しい。周りを見ると、考えない(考えられない)自称科学者も多いようで、意味もなく安心することもある。難しいのは、考えることすなわち自分の理性・知性の限界に挑むことだからだろう。しかし、考えることなくして、まともな研究ができるわけもない。自然科学の研究者なればこそ「ハートで考え」なくてはならない。
 一方日本では、論理的に追い詰めることは嫌われる。物事が正しいかどうかと自分がどう思うかとは別物のはずなのに、論理より自分の感覚を優先させる人が(自然科学に関わる集団の中でも)多い。「理屈はそうだが」などと言って逃げたり、やるべきことをやってないと言われて感情的になったり・・・。論理を頭でなくハートで受け止めてしまうのだろう。どうやら、頭で受け止めることとハートで考えることとは表裏一体らしい。それは、自然と客観的、論理的に向かい合うべき自然科学者に必須の素養であろう。
 ところで、セルは自他ともに認める厳しいトレーナーだった。音楽監督を務めていたクリーヴランド管弦楽団の訓練を、自ら"We begin where others have finished"と言っている。その結果、クリーヴランドは世界に二つとないサウンドを獲得した。ハードトレーニングの上に成立したセルの音楽は、今も数々のCDによって聞くことができる。それらは「ゆとり」という名の甘やかしからは生まれ得ない孤高の個性に彩られている。そして、高みに達するためには基本的なスキルの習得がいかに重要か、それにはどれだけハードなトレーニングを積む必要があるかを示している。
 こうして見てくると、音楽家に向けられたセルの言葉が(彼の厳しい訓練も)、そのまま科学者に当てはまることに驚く。感性の世界にある芸術と論理が支配する自然科学-この二つの分野の人間に対して同じ心構えを語れるということは、自然科学が所詮は人間の営為であることを改めて認識させる。そうであれば、自然科学に携わる者にまず大事なのは心の鍛錬であって、その苦しい作業を通じて初めて、誰のものでもない「自分の仕事」への道が開けるのではないだろうか。それは、「自分の好きなことを好きなようにやる」という心地よいがただそれだけの作業とは、全く次元の違う行為である。研究室の構成員には、このような私の思想をよく理解してくれることを願っている。

(2001年に書いたエッセイから)